2018年12月04日

飛鳥時代に触れてきたよ。

 先日、大学時代の友人家族と妻で奈良県の明日香村でサイクリングをしてきました。何回も明日香は訪れていますが、今回の目的は、今年の10月31日に国の重要文化財になったばかりのキトラ古墳壁画の鑑賞でした。
 キトラ古墳は、高松塚古墳に次ぐ我が国2例目の壁画古墳で、1983年の調査で石室内に描かれた極彩色壁画が発見されました。藤原京の南に広がる古代の皇族・貴族などの墓域に所在する小さな円墳で、7世紀末〜8世紀初頭頃に造られたと考えられます。東西にのびる丘陵の南斜面に位置し、墳丘は2段築成で、下段の直径が13.8m、上段の直径が9.4mに復元できます。
 墳丘の中央には、凝灰岩の切石を組み上げた石室があります。石室には18個の直方体の切石が使われており、石材は古墳から北西に約14キロ離れた二上山から運ばれたものです。石室内部の広さは奥行2.4m、幅1.0m、高さ1.2mで、天井・側壁・床面の全面に漆喰が塗られています。その白い漆喰面に、四神や十二支、天文図などの極彩色壁画が描かれています。

墳丘整備後のキトラ古墳
墳丘整備後のキトラ古墳

 キトラ古墳の石室内には、四神、十二支、天文図、日月の壁画があります。四神は天の四方を司る神獣で、壁画は対応する方位に合わせて、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武が描かれています。高松塚古墳では、盗掘により南壁の朱雀が失われていたため、我が国で四神の図像全てが揃う古墳壁画はキトラ古墳壁画のみです。
 四神の下には、獣頭人身の十二支が描かれています。北壁中央に子像があり、方位に合わせて各壁に3体ずつが配置されています。現在確認できているものは、子、丑、寅、午、戌、亥の6体です。
屋根形の刳り込みのある天井には、東の斜面に金箔で太陽が、西の斜面に銀箔で月が表されています。天井の平坦面の部分には、円形の中国式の天文図が描かれています。この天文図は、赤道や黄道を示す円を備えており、本格的な中国式星図としては、現存する世界最古の例といえます。

青龍朱雀白虎玄武
     青龍        朱雀       白虎              玄武

 

 皆さんもぜひ一度見てきてください。感動すると思います。

                                          進学塾オネスト鈴鹿校 牛田光洋

 

 

posted by honest at 17:40| 歴史

2018年09月11日

史跡探訪!

 先日、妻と二人でドライブを兼ねて奈良県の信貴山(しぎさん)と法隆寺にお参りをしてきました。
 信貴山は聖徳太子が物部守屋との戦いの前に必勝祈願した山です。物部守屋は仏教を排除しようとして仏教を広めようとする聖徳太子と対立していました。太子が祈願をすると、毘沙門天(びしゃもんてん)が現れ、必勝の秘法を授かったということです。毘沙門天は仏教の守護神の一人です。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。そのため信貴山には大きな寅が奉納されています。
 戦いに勝利した太子はこの山を、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天は寅に縁のある神として信仰されています。南北朝時代の楠木正成、戦国時代の武田信玄、安土桃山時代の豊臣秀頼などが信仰していました。今では、老若男女がいろいろな願い事で訪れています。
 帰り道に法隆寺に寄って来ました。聖徳太子ゆかりの寺で、世界最古の木造建築といわれています。教科書にも写真入りで登場しているので、皆さんも一度ぐらいは訪れたことがあると思います。物部氏との戦いに勝った聖徳太子は蘇我氏とともに仏教を広めました。この時代の文化を飛鳥文化といい、その代表が法隆寺であり、そこにある釈迦三尊像です。
 法隆寺の門前にあるお店で「柿の葉寿司」を購入して帰路につきました
信貴山.jpg  法隆寺.jpg  
             信貴山                          法隆寺
                
柿の葉すし.jpg
      柿の葉寿司          
                                           進学塾オネスト鈴鹿校 牛田光洋
 
posted by honest at 17:51| 歴史

2017年11月02日

大政奉還150周年

 今年は徳川慶喜が朝廷に政権を返上してから150年という節目の年である。そこで、京都を中心に様々なイベントが行われている。その中の一つ二条城周辺の幕末遺跡を歩くイベントに先日参加してきた。当日は日曜で普段ならぐっすり寝ている朝6時30分に桑名の家を出て、東名阪、新名神、名神を通り朝8時30分に京都四条大宮の集合場所に着いた。小雨が降る中のウォーキングであった。
 四条大宮から高槻京屋敷跡、六角獄舎跡、来迎寺、若狭酒井屋敷跡、東町奉行所跡、西町奉行所跡、京都代官屋敷跡、京都所司代跡、姫路酒井屋敷跡、越前松平屋敷跡、古河土井屋敷跡を通り、京都史跡ガイドボランティアの会の会長さんから、いろいろな伝承などを聞いた。さすがの知識の豊富さに驚いた。午後は二条城に入り、残っている建物などを見て回った。150年前の10月13日に10万石以上の大規模大名42家が集まり、慶喜から大政奉還の意向を聞いた部屋などがあった。この日は10月15日だったので2日違いではあったが、当時を思い、感慨深いものがあった。
 大政奉還は武家社会から近代日本へのさきがけの一歩であったが、この後、薩摩、長州などを中心とする新政府により、徳川家などが朝廷の敵にされ、戊辰戦争が行われたことが、後悔されるところである。徳川家なども入り、穏やかな変革の道もあったのではないかと、自分などはかんがえてしまう。
 歴史はただ過去のことを覚えるだけではなく、もし、こうだったらとか、勝敗が逆だったらと考えると大変面白い。皆さんもぜひそのように考えてみよう。
                                         進学塾オネスト四日市校  牛田光洋
 
posted by honest at 15:46| 歴史